大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和42年(あ)1858号 判決 1969年2月06日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

ただし、この裁判が確定した日から三年間右の刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人遊田多聞、同吉江知養、同出射義夫、同倉田雅充、同三宅秀明の上告趣意第一点は、憲法三一条違反および憲法の前文違反を主張するが、実質は単なる法令違反の主張であり、同第二点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかし職権により調査すると、原判決は、被告人に対し名誉毀損の罪責のみを認め、被告人に対する公職選挙法違反の点は罪とならないとした第一審判決を破棄し、みずから、

『被告人は、昭和三十三年三月下旬頃「元外務大臣有田八郎氏夫人・般若苑マダム物語」と題する小冊子十万部を自ら執筆発行するに当り、その筆者名を「和田ゆたか」発行所名を実在しない「太陽出版社」と各表示し、有田八郎夫人輝井に関し、同誌上の

(一)  第十六頁から第十九頁にかけ「祇園祭りの夜」、「東京へ、十六才で結婚生活」との見出の下に、輝井は、十五才の夏その郷里長野県下高井郡中野町の祇園祭の夜一人の異性と結ばれ恋愛遊戯に余念がなかったが、その年の暮に東京に居住する若林過去治との縁談が持ち出されると東京への魅力の前に恋人もすてて十六才の新春若林過去治に嫁いだ旨。

(二)  第二十一頁から第二十七頁にかけ「破局、転機」、「邪恋に走る」、「二児も棄てて」との見出の下に、輝井は、大正九年の夏の夜隣家の二階に住む自動車運転手富山嘉一郎と知り合い、夫過去治の留守中富山の運転する自動車でドライブしたことを機縁とし同人と結ばれ、夫過去治の眼を忍んで富山の住む二階に足しげく通い、遂には公然と通うに至ったが、夫過去治にその不貞を知られ、同年秋二児も棄てて夫過去治のもとを飛び出し、富山と同棲するに至った旨、

(三)  第四十八頁から第五十頁にかけ「ヤミ料亭賀つらの繁栄」との見出の下に、料亭賀つら経営当時のことに関し、輝井は、ほれたふりをして客を百パーセント利用する位のことは朝めし前のことで、深夜輝井が客の部屋にしのび行く姿を見た女中もあるとさえいわれ、お色気戦術は輝井の特技中の特技である旨、

又有田八郎、同輝井に関し、

(四)  第三十五頁から第四十二頁にかけ「車中、有田八郎を知る」、「老いらくの恋、花ひらく」との見出の下に、輝井は、昭和十五年七月帰郷の途次信越線車中で前外務大臣有田八郎と知り合ったが、その一ケ月後輝井の経営する赤坂の割烹料亭三河屋に有田八郎の訪問を受けた日を一線にして有田八郎と急速に離れがたい関係に結ばれ、有田八郎は事実上の夫の座につき、輝井は爾後夫富山嘉一郎を完全に無視し相手にしなくなった旨、

とそれぞれ故らに事実の一部を誇張歪曲して一般に公表を差控えるべき有田輝井の男性遍歴及び有田八郎と輝井との結ばれた経緯につき暴露的記述をなすとともに

(五)  第五十五頁から第五十六頁にかけ「有田を世の中に出すために」との見出の下に、昭和二十八年、昭和三十年の各衆議院議員選挙及び昭和三十年の東京都知事選挙に際しての有田八郎立候補の主役は、典型的な事大主義者で大臣や知事という「地位」に無条件のあこがれを持ち、どうすれば有田八郎を大臣にさせ、都知事にすることができるかのみに腐心している輝井であって、有田八郎は単に輝井のタクトに踊るピエロにすぎない旨、

の悪意に満ちた論評を加えること等によって、有田八郎を過度に誹謗した記事を掲載したうえ、右小冊子は既に昭和三十三年三月二十日印刷、製本を完了したのに拘らず、当時これを発売する等のことなく、昭和三十四年四月二十三日施行の東京都知事選挙に際し、同選挙に立候補すべき決意を固めていた有田八郎の当選を阻止すべく、故らに右選挙の告示日に近接した同年三月十二日頃以降の時期を選び、東京都内の右選挙の選挙人多数に対し、右小冊子多数を販売或は郵送して同人等にこれを頒布閲覧せしめた』との昭和三四年七月一日付訴因罰条追加請求書記載の事実を引用して原判決判示事実を認定し、被告人の所為は、名誉毀損の罪を構成するとともに、選挙の自由を妨害した罪をも構成し、一個の行為で二個の罪名に触れるものとして、刑法二三〇条一項のほか、昭和三七年法律第一一二号による改正前の公職選挙法(以下単に公職選挙法という。)二二五条二号の規定をも適用して、被告人に対し懲役一年二月執行猶予三年の刑を言い渡し、その理由として、公職選挙法二二五条二号にいう「選挙の自由」には、「選挙運動の自由」と「投票の自由」のほかに、投票の不可欠の前提条件であるいわゆる「判断の自由」も含まれていると解すべきであるとするのである。

しかし、公職選挙法が、新聞紙、雑誌、放送による報道評論の公正を確保するため、同法一四八条一項但書(罰則二三五条の二)、一五一条の三(罰則二三五条の三)を設け、いわゆる報道機関が、選挙に関し、虚偽の事項を記載、放送し、または事実を歪曲して記載、放送して選挙の公正を害することを禁じ、また、二三五条によって、公職の候補者(本件行為当時の同条には「公職の候補者となろうとする者」の文言はなかった。)に関する虚偽事項の公表を禁止する等、選挙人の候補者に対する公正な判断を誤らしめないようにするための一連の規定を設けていることにかんがみれば、原判決のいわゆる「判断の自由」なるものは、これらの規定によって保護しようとしているものと解される。一方、公職選挙法二二五条の規定を見ると、同条一号は「……暴行若しくは威力を加え又はこれを拐引したとき」、二号は「交通若しくは集会の便を妨げ、又は演説を妨害し、……」、三号は「……特殊の利害関係を利用して……威迫したとき」とそれぞれ規定していて、いずれも選挙運動および投票に関する行為それ自体を直接妨害するような行為を例示していること、更には、法定刑の面でも、選挙の自由を妨害する罪(二二五条)が四年以下の懲役もしくは禁錮、買収饗応罪(二二一条)が原則として三年以下の懲役もしくは禁錮、文書等により選挙の公正を害する罪(二三五条、同条の二、三)が二年以下の禁錮となっていて、右三者の中で選挙の自由を妨害する罪が最も重く、いわゆる選挙の公正を害する罪が最も軽くその刑を定められていることにかんがみれば、同法二二五条二号にいう「偽計詐術等不正の方法をもって選挙の自由を妨害する」行為とは、選挙運動および投票に関する行為それ自体を直接妨害するような行為をいい、単に選挙人の候補者に対する判断の自由を妨げるだけの行為は、これにあたらないものと解するのが相当である。もしも、原判決のいうように、何らかの不正の方法をもって選挙人の判断の自由を妨げる行為が同号にあたるとするならば、選挙人を買収する行為はとりも直さず選挙人の公正な判断を誤らしめる行為であるから、これについては常に同法二二一条の買収の罪とともに二二五条二号の罪が成立し、しかも両者は一所為数法の関係にあって、後者の罪の刑のほうが重いから、後者の罪の刑によって処断すべきことになるという不合理な結論を承認せざるをえないであろう。

ところで、本件誹謗文書の頒布行為は、前記文書の内容に照らし、選挙人の候補者に対する判断の自由を妨げる行為とはいいうるが、選挙運動および投票に関する行為それ自体を直接妨害するような行為とはいえないから、同法二二五条二号にいわゆる選挙の自由を妨害する行為にあたらず、したがって、原審としては、公職選挙法違反の点は罪とならないとした第一審判決の判断を正当として維持すべきものであった。

しかるに、原審は、前記のように、本件冊子の頒布行為が名誉毀損罪のほか公職選挙法二二五条二号の罪をも構成するものとして、第一審判決を破棄し、被告人に対し第一審判決の宣告刑より重い刑を言い渡したのであるから、右は法令の解釈適用を誤ったもので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

よって、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条但書により、原判決が確定した事実(ただし、原判決が付加した「すると同時に、右不正の方法によって選挙人の選挙の自由を妨害」の部分は、原審の法律判断を記したにすぎないものであるから、これを除く。)に法律を適用すると、被告人の所為は刑法二三〇条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、諸般の情状にかんがみ同法二五条を適用して、この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人の負担とする。なお、本件公訴事実中公職選挙法違反の点は、前記の理由により罪とならないが、有罪とされた名誉毀損の罪と一所為数法の関係にあるものとして公訴が提起されているので、特に主文において無罪の言渡しをしない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠)

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